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キリスト教への入信のきっかけ

神の計画伊藤寿雄
「導かれて」匿名希望
高校生の時に        佐藤政隆
教会と共に鈴木力三
求め続けたもの高橋努
イエス様がよいと言っているのだから    K.H
信仰の喜び匿名
主に出会って斉藤裕子

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2011年2月号より
神の計画
伊藤寿雄
 私の入信の理由を話すと、皆一様に驚き、「それは神のご計画ですね。」と言われます。私はキリスト教についてはほとんど何も知らず、また知ろうとも思っていませんでした。
 ある日孫が「おじいちゃん、お願いがあるの。聞いてくれる?」と言うので軽い気持ちで「ああ、いいよ。」と言ったのです。それがキリストさんとの出合いでした。
 私の家は永平寺派の禅宗で、私はその家の長男でしたが、仏教についてもよく分かってはいませんでした。死んだらお寺さんのお世話になる位にしか思っていなかったのです。ですから退職して間もなくそろそろ死んだ後の事を考えてと戒名でも用意をしておこうかと○拾万円で買い、これで一応死後の名前も出来たと安心?…していましたのに、可愛い孫の頼みだし、まあ八百万(ヤオヨロズ)の神さんにキリストさん一人位加えてもいいか位の気持ちで引き受けてしまったのです。
 本当に私は宗教について何も深く考えた事がなかったのです。
 一九八八年五月頃だったと思うのですが孫に連れられて初めて「のぞみ教会」に足を踏み入れました。その時聞いたメッセージが「ノアの箱舟」でした。四十日四十夜雨が降った?死者が生きる?私には信じられぬことばかりで私には理解のできない話ばかりで孫との約束を後悔したものです。当時は嫌ならやめればいい、日曜礼拝も行かなければいい、そう思って自分を納得させていましたのに、あれから二十三年間、行き続けている私です。まったく不思議なことです。そして日々祈っている自分がいるのです。本当に神のご計画を思わされております。

主に栄光                    

在主     





2008年7月号より
「導かれて」
匿名希望
 私がイエスキリストと出会ったのは、6歳の時で、札幌の琴似幼稚園に通い始めた頃でした。最初は右も左も分からないまま、ただ教えられるとおりに手を合わせて『お祈り』を毎日していました。母がクリスチャンであるということもあり、何気ない日常の中でも私が悪さをしてその直後にいたい目に会うと「ほら、神様怒った」逆に何か良いことをすると「ちゃんと神様は見ているよ」などと言われ、いつ、どんな場合でも神様は私のそばにいて下さり、全てを知っておられるのだと小さい子供ながら感じ取っていました。
 中学3年生になったある日曜日、母から「今日は洗礼式があるから一緒に教会へ行こう」と言われ、一体それにはどんな意味があるのかと聞くと、「神の家族の一員となることだよ」と教わりました。いつか自分にも来るべき時が来るのだろうか、こんな欠点だらけの人間なんて受け入れられない、その時の私はそのように思っていました。
四年前富良野の地に来ましたが、その時はなぜなのか疑問に思いました。以前札幌で、聖書の学びをした時には、まだ洗礼の決心がなく、またあることで心を煩っている私を見かね、仕事では、学生時代に学んだことを少しでも人の手助けになるようにと神様はこの地へ導いたのだと感じました。そして昨年、田村牧師に受洗の話を持ちかけました。あろうことか、職場で田村牧師が神に召されたと知ったときひどくショックを受けました。なぜもっと早く決心をしなかったのだろう。この出来事により、自分に用意された道をよりいっそう深く考えさせられ、先延ばしにしていてはいけないのではないだろうかと感じました。この日まで、学びをともにしていただいた方々、祈って下さった方々に感謝をしたいと同時に、姿は見えませんが、ここにいる田村牧師の前で、『洗礼』を決意したいと思います。

高校生の時に
佐藤政隆
占冠村双珠別
 英語を教えてもらおうと初めて教会へ行ってみたのは高校2年の2月頃でした。そこにいらっしゃったのはスエーデン人の宣教師でした。英語で話をするのだろうと思っていましたがいきなり「いやあ、ようこそいらっしゃいました。」と言われたのにはびっくりしました。メッセージはもちろん日本語でしたが聞いていてもさっぱり解らずその内に英語だけ習いに午後からだけ行きました。「今日は昼から行きます。」と電話をかけると「午前中も来て下さい。」と言われて仕方なく出席していました。それで二週間に一度くらいずつ出席していました。

 八月に公民館で伝道集会がありました。講師は愛知県から来られていた滝本明師でした。会場に入って先生の顔を見たときにすさんだ心を暖かく包んでくれるそういうものが顔からにじみ出ているのを感じました。講師がこのように話しました。「私たちが問題に会うときにたいてい悪い方へ、悪い方へと考えてしまい問題に押しつぶされてしまいやすい。」自分の状態を振り返るときにまさにその通りでした。そのころ夜間の高校に通っていました。「働きながら学ぶ」ということに魅力を感じて入った高校でした。昼間は役場の道路工夫をしていましたがその人間関係の悪さそして仕事がおもしろくなくてしょうがない。世の中とは人間を育てるのではなく堕落させるところだと思いました。早くこんな土方みたいな仕事をやめてもっとまともな仕事に就きたいとそればかり考えていました。学校の中ではまだ上級生の四年生がいるのに卒業していった先輩方から推薦されて生徒会長を引き受けてしまい、タイプが人の上に立つタイプではない事もあり、頭の中は混乱するばかり。まとまらない執行部。また風紀の乱れ。学校の行事がある時などは一ヶ月も前から「どうしよう。どうしよう。」と悩みました。心は焦り、勉強は手に着かず、夜間高校に入ったことの後悔、劣等感、将来に対する不安。問題に押しつぶされてると聞いたとき自分の生活そのものだと思いました。「しかし、クリスチャンの特権はどんな時にも頼るところがあり、問題に押しつぶされずにそれを乗り越えて行けることだ。」と講師は言いました。「子供はいつも生き生きとくったくなく生きている。彼らには絶対的に頼るところがある。それは両親だ。私たちも天地宇宙万物を創造し人間を作った神に心のどん底から信頼して行くときに子供と同じ平安が与えられるのだ。」と聞いたときに「僕も信じてみよう」と思いました。その集会の帰り道嬉しくて飛び上がり「今日から俺もクリスチャンだ!!」といいながら帰って行きました。

 他人を見下していた心、仕事を怠けていたこと、人の気持ちをもてあそんでしまった事などを神様が示して下さいました。罪を悔い改めて主に従って行ったときに、自分だけでなく周りの状態まで変わりました。また夜間高校だから、土方だからと言う劣等感はいつの間にか無くなっていました。その後も多くの問題に会い大変だったことも多かったですけれどもそれらが解決したとき感じたのは「いつも私を信じていなさい」と言う主のみ言葉でした。

 今でも忘れられないのは「佐藤さん、頑張れ」と僕の背中に向かって慣れない日本語で何回も励ましてくれた宣教師のジョンソン先生の言葉です。そのジョンソン先生も昨年再び日本へ来ての旅行の最中に病気にかかり亡くなられました。これからは私たちの時代だ。私らが日本人に又地域の人に伝えて行かねばならない。そのことを強く思わされました。

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教会とともに
鈴木力三
沙流郡日高町栄町
「神は大いなる事を行って測り知れず、その寄しきみ業は 数え切れない」(聖書ヨブ記五章九節)
 人生とはいろいろな経験がありその経験がその人の人生を全く代えてしまう事もあります。神かもうな仏ほっとけと神様などと口にするのも恥ずかしいと思い無神論生活をして居りました。 私も教会生活が始まって一七年となりました。
 
初めから何もかにも解って行ったのではありませんが、十字架の愛とか罪とかが解ってあのことが守られた、この事も通させて戴いたと振り返ってみまするに何から記して良いか解らないほどです。毎日の生活を通して神様の愛が見ることの出きるのは空想でも理想でも感覚でもなく、現実として一七年間続いて居ります。昔はケンカの一度もしなければすっきりしたような気がせず売られたケンカは買わねば男がすたると、殴り込みされて家族をよそに預けて一人で家にいてひどい目にあった事もあった私。イエス様を信じなければ良かったと思ったことは一度もありません。

 守られないながらも意義ある人生とは事業なり商業なり勤め人であれ社会人としての責任を感じ努力さえすれば良いと思いこんでおりましたが昭和三三年三月イギリスより来られたアブラハム先生を通じて福音にふれ、それも大切なことだが人間を初め全てのものが創造者を知らなければ何のために生きて居るか解らず、平安な生活を送ることができないと教わり、聖書はそのことを記してある神様からの手紙ですと言われ、聖書を読み、初めて聖書の中に書いてあることが事実となり、私の生活に対する考えは聖書に約束されてある通り昔の考えと全く変わり新しくなりました。友達すら新しくなり今はイエス様にある励ましの友をたくさん与えられました。

 箴言の(聖書の中の一つの書)記者ソロモンは三〇章九節に二つの願いを記してありますが私も自らの生活の軸として色々商いも祝してほしいとか、たくさんある中で特に二つのことを願いを持っております。一つはどんな人にもイエス様のことを解りやすく話せること、もう一つは人様との巡り会いを大切にしたいと心がけたいと願ってます。もちろん話していることを忠実に守って居ると言い切ることのできない私ですが神様を愛し、毎日自らに与えられた仕事を忠実に行う生活に背を向けるなら私の人生は失敗に終わると確信しています。

 いつの世でもですが今もやはりいろいろな問題の山積みされている社会の時代に、問題なくもう一度来られる私たちの創り主イエス様にお会いできるという望みを持てる事を感謝し私の五人の子供を初め多くの人々がこの福音に触れ、イエス様を愛した生活が出きることを祈りつつ。
 ルカによる福音書二四章四七節 その名によって罪の許しを得させる悔い改めがエルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなた方はこれらのことの証人です。
(一九七五年発行の「日高福音教会の歩み」より掲載させていただきました。)


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求め続けたもの
高橋努
富良野市島ノ下
今から12年前、高校受験を控え、まわりが勉強に明け暮れている中、僕はただ周りの常識に流され、何の目的もなく、高校に行こうとしていた。しかし、自分の進路を正式に決める日が近ずくにつれ、その気持ちが少しずつ薄れて行きました。それは今の学校生活から解放されたい、勉強したくない、とにかく自由になりたいという自分勝手な理由からでした。両親に自分の気持ちを告げ「高校には行きませ」と先生に告げたのは、進路を決める1週間前のことでした。

 中学を卒業し、とりあえず行くことになった職業訓練校では、今まで以上におもしろくない生活でした。いろいろな所から来た人たちが目を尖らせて誰にもなめられないようにと、強がっていた。自分もその中の一人でした。手に根性焼きを入れ、悪い事をすることが誰よりも強いことのように感じて、人を傷つけたり、まわりの人たちに迷惑ばかりかけていたような気がいたします。ある時、僕は数人で一人の人をいじめる行為をしてしまいました。その事が学校に知れて、先生に呼び出され、そこでがっかりすることを聞かされました。いじめの原因はすべて自分のせいにされていたのです。人を傷つけてしまった自分を許せない気持ちもあったのですが裏切られた気持ちでいっぱいでした。信頼感もなくなり、自分の存在もわからなくなり、結局わずか四ヶ月で自主退学をしました。
 
一五歳で社会に出た僕には、ドロドロとした人間関係が待っていただけでした。中学を卒業するとき思い描いていた自由なんてどこにもなかったんです。仕事も長続きせず半年でやめ、何もしないで家でだらだらと過ごす日々が続きました。あそびたいときに遊び、朝は起きたいときにおき、夜は寝たいときに寝る。そんな生活にも自由を感じることはありませんでした。まわりの友人は、自分のしたいことなど、将来のためにも努力していたし、両親も生活のために朝から晩まで働いていました。そんな中何もせず親のすねをかじって生きている自分が恥ずかしく思い、又情けなく思え、自分は何をしているのだろう、何をしなくちゃならないんだろう、まわりの人たちは幸せなのだろうか、本当の平和って何だろう、そんなことを思い始めたときでもありました。

 当時あるロック歌手の影響をすごく受けていました。その歌手の歌う詩のテーマは、自由と平和と愛でした。彼は詩の中で、自由って何だろう、平和って何だろう、愛って何だろうと、いつも悩み、苦しんでいました。そんな彼の詩に自分の気持ちを重ねて共感していました。
 しかし、彼はその答えを見つけられずに二六歳の若さでこの世を去りました。彼が求めていたものは何だったのか、僕はその答えに導かれ1996年12月22日26歳のとき受洗しました。僕が求めていたもの、それはこんな罪ある自分をも救って下さった、真実の神様だったのです。キリストこそ、私たちの平和であり、自由を与えて下さった方なのだと思いました。

 僕の信仰生活は始まったばかりです。「信仰は望んでいる事がらを保証し目に見えないものを確信させるものです。」(へブル書11章1節)僕はこの信仰をこれからも大切にしていきたいと思います。

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イエス様が良いと言っているのだから
井口一美
私は今まで聖書もほとんど読んだことはなく、私なんかとても洗礼を受けられるようなあたいはないと思っていました。そして妹が先に洗礼を受けませんかと言われたと聞き、やっぱり私は勉強もしていないし、まだまだ先のことだと思っていました。でも私は毎晩イエス様にどうか洗礼を受けられるようになるように私を導いてくださいとお祈りしていました。私があれこれ心配するより、イエス様がちゃんとその時期を与えてくださるはずだから、それまで待っていようと思いました。その後、高橋さんから田村先生が洗礼を受けてみませんかと言っていたよ、と聞き、ああイエス様は私の祈りを聞いてくれたんだと思い、イエス様が洗礼を受けてもいいですよ、と私に語りかけて下さったのだと思いました。イエス様がいいとおっしゃって下さっているのだから、もう私が迷うことはないと思い、このように洗礼を受けることができました。とても嬉しいです。


信仰の喜び
匿名
 私は敗戦間近い頃、樺太(今のサハリン)に生まれました。貧しいながらも家族とも生きながらえ、順調な毎日を送っていました。しかし、父が退職した直後に詐欺に引っかかり、家財産を失いました。母は失ったものを取り返そうとするあまり、自分自身を見失い、家では子供を叱りつける毎日でした。妹は母に甘えたい時期だったのでショックで神経を病み、もっとも重い精神病となってしまいました。高い入院費が払えず、親戚に度々お金を借り続ける内に親戚の会社もつぶれ、周囲を不幸にする罪を犯してしまいました。

 私も精も根も尽き果て、学業成績はがた落ちとなり、友達も失ってしまいました。その時慰めて下さった方がクリスチャンで、私は次第に彼女に心惹かれるようになりました。 聖書研究会に招かれて学ぶうち、聖書の御言葉に真実を見いだし、新しい光を感じるようになりました。孤独と絶望の中にいた一人の人間に生きる喜びを与えてくれました。
 
それから定期的に通うようになり、自分より苦しんでいる人々がたくさん存在することに気ずかされ、ビアフラに塩を送り、戦争の早期停止へ向けて運動し、初めてもらった給料のすべてをささげて御言葉が多くの人々へ伝わることを祈り、しばらくして家庭をないがしろにしていた事に気ずいて家へ仕送りをするようになり、三〇数年経ってやっと人間らしい生活が送れるようになりました。詩編二三編の「たとい我死の谷を歩むとも災いを恐れじ・・・・・」等々の聖書の御言葉は私を力ずけ、賛美歌「正しく強くあらまし、道にて気を緩めず・・・・・」聖歌の「キリストには代えられません」等々の歌は動揺した心を清らかに澄ませてくれました。

 もし生きるのぞみを見失っていた頃、またその後続いた様々な不幸な出来事の中でキリストの教えにふれていなかったとしたら、私はどのようになっていたか解りません。たぶん絶望して神経を病んでいたかひねくれて世の中を斜めに渡っていたかもしれません。

 神様は祈りに答えて私を作り変えて下さり、様々な場面で正しい道を示して下さいました。これからも聖書の御言葉を学び続け、生命を与えて下さったその限りを神様に喜ばれるよう、人々を愛し、助けを求めている方々に少しでもお役に立てるよう、生き続けて行きたいと思っています。
 「飢えている者よ、私のもとに来たれ」との御言葉に従って、どうかこの文章を読まれた方も聖書に触れ、クリスチャンと交わって下さるよう祈ります。


主に出会って
占冠村中央 中学校教諭
斉藤裕子
私がはっきりと「神様は唯一だ」と思ったのは大学生の時でした。英語を学ぶために近くの教会のEnglish Bible Studyに通っていた頃です。子供の頃から神様の存在は信じていましたが、それがどんな方なのかは解らずにいました。だから仏教も神道も真実に思えました。しかしその日のBible Studyで主は人が作った物にお入りになるような方ではない事を知り、それが私の心にすんなりと入りました。
 
 それから3年ほど経ちましたがその思いはますます強まり、イエス様が私の身代わりになって下さったこと、在りのままの自分を愛して下さることを信じて、洗礼を受けました。 しかしそこからがいろんな闘いの始まりでした。家族の反対や友人に対してうまく証しできないいら立ち。その中で毎日のデボーションを通して少しずつ聖霊様で満たされることの喜びを教えられてきました。

 今私は教師として様々な楽しさと同時に困難や不安があります。喜べないことも少なくありません。自分の愚かさを知らされることの多い日々です。でも主は確かに 私に「恐れるな」と語って下さいます。その力強い御手に引かれて主の栄光を現して行けるようになりたいと願う毎日です。