私の寄稿文
ホームページに戻る
目次
しん陽総領事館内連行事件に思う(2)総理官邸HPに投稿2002.5.23
しん陽総領事館内連行事件に思う(1)外務省のHPに投稿
小泉首相の靖国参拝(2)総理官邸のHPに投稿 2001.7.29
小泉首相の靖国参拝総理官邸のHPに投稿 2001.7.27
柔道篠原選手への誤審に思う
北海道新聞へ投書(不掲載)2000.11
妊娠中絶に思う北海道新聞へ投書(不掲載)2000.4.10
君が代に抗議して退場した教職員に思う
北海道新聞へ投書(不掲載)2000.3.20
日の丸君が代に思う北海道新聞へ投書(不掲載)
新潟県警本部長の辞職に思う
北海道新聞へ投書(2000.3.3掲載)
「家裁の人」より教会での礼拝メッセージより
県立所沢高校の入学を祝う会に思う1998.5.17
日の丸君が代について北海道新聞へ投書(不掲載)1998.2.12


しん陽総領事館内連行事件に思う(2)

 中国政府が出国を認めた日本総領事館内連行事件の北朝鮮住民5人は22日北京発の民間機でフイリピンへ、そして大韓航空によってマニラからソウルの仁川国際空港へと移動し到着した。外務省によると寺田輝介駐韓国大使はソウルの仁川国際空港で到着した五人を出迎え韓国入りを歓迎するとともにチョコレートパイを手渡したという。そして日を改めて身元確認などの詳細な事情聴取をするという。
 日本政府がこの事件に関与したという事実関係を作りたいという。しかし事件が解決し一件落着した今になってなぜそこまで「関与」という事にこだわるのだろうか。そんなにこだわりたいのなら 最初に彼らが駆け込んできたときになぜ助けなかったのか。その時になぜ身元の確認や亡命の意思の確認をしなかったのか。その時にそれを拒否しておいて身柄が中国に渡ってから急にこだわりだしたのはなぜなのか。事実と違うパフォーマンスに見えてしょうがない。

 小泉総理は「人道上の要請を満たすよう強く働きかけた日本の主張を中国側が理解してくれたのだと思う。」と述べているが日本は助けようとしたのではなく受け入れを拒否したという事をきちんと認めるべきではないだろうか。助ける意思があったというのならなぜ亡命を希望する英文の手紙を受け取らずに返したのか。中国側の警官が連行しようとした時に「連行されてもしようがない。無理をするな」などという指示が出てくるのか。
 また「敷地内に警官が入り連行したこと」に同意していないというが 中に入ろうとした警官に入るなと制止した事実もないし 門の付近で警官と五人がの争いになったときにもそれを止めようとする行動態度は一切見られなかった。「無理をするな」という言葉からも分かるように「黙認した」「同意した」と見られてもしようがないし事実そうだったと思う。

 「毅然たる姿勢で引き続き冷静に対処していきます」と言っていますが もう悪あがきはやめて 変なパフォーマンスもやめてもう中国との争いもやめたらいかがですか。そして日本のやった事を深く反省すべきだと思いますがいかがですか。また同じ事が再び起こった場合に備えての対応マニュアルや基本姿勢というのを徹底統一すべきだと思いますがいかがでしょうか 2002.5.23





しん陽総領事館内連行事件に思う(1)

 日本側は5人の出国よりも「中国側の警備担当者が領事館内に踏み行ったことに対する中国側の謝罪」とか「5人から亡命の意思を確認したい」とかについてこだわっているようですが事実上中国の警備員が敷地内にはいることも、そこから連行することも黙認しているわけだから、そして身柄は今中国側にあるわけだから 今更それらのことにこだわってもしようがないと思う。中国側もフイリピンに出国させるということで譲歩してるわけだからあとは中国にまかせて良いのでないかと思う。今更日本としての国のメンツにこだわってもしようがないと思う。返って第三国に出国させてもらえることについて感謝の気持ちを中国側に伝えるべきだと思う。
 敷地内に踏み込んで欲しくないならばあらためて中国側にその事を伝えこれからはそういうことの無いようにしてもらうのが良いと思う。また入ってくる亡命者を守り助けることを総領事館内や外務省内においても もっと意思の統一を図るべきだと思う。





その2 

  熊本市で行った遊説で「他の国が戦没者にどういう慰霊をするか 私は文句を言うつもりはない。平和国家として世界の繁栄に尽くすと誓うことが何で批判されるのか解らない。」と言われています。

 靖国に参拝することは単に「戦没者に慰霊する」とか「世界の繁栄に尽くすと誓うだけ」に終わらないのではないでしょうか。周りにどういう影響を与えるか考えはしないのでしょうか。過去の侵略戦争を正当化することにならないですか。このことは公人であろうと私人であろうと同じだと思います。靖国に参拝するということには当然そういう意味合いがあるのですからそれを解っていて押し通せばどういうことになるか周りにどういう印象を与えるか考えはしないのですか。

 先に書いた投書にも書きましたが戦没者に対する敬意と感謝、更に平和を作っていくことを誓うのでしたら戦没者慰霊式典で充分ではないでしょうか。それと同時に戦争に対する反省とアジア各国に対する謝罪の気持ちをこそこの機会を通して、「参拝しないこと」によって現して行くことの方が大切なのではないでしょうか。(2001.7.29)




小泉首相の靖国参拝

 小泉さんは靖国参拝について「戦没者に対し敬意と感謝をささげたいとの気持ちであり先の大戦を美化したり戦犯が行ったとされる行為を正当化するものではない」と述べられているがそれは詭弁だと思う。田中真紀子さんがおっしゃられるように 武道館で行われる戦没者慰霊式典だけで充分ではないでしょうか。
 
 それだけで満足できずこれにこだわり 敢えて参拝を行おうとするのは 先の大戦を美化したり、戦犯が行ったとされる行為を正当化しようとする意図があるからではないでしょうか。
日の丸君が代についても同じ意図があるからこれにこだわるのでしょう。単に国歌だから唱うべきだとおっしゃるなら みんなで歌える新しい国歌を作ってくれと言ってるのにあえてそれをせず日の丸君が代にこだわるのはそれがあるからでしょう。

 大体国が遺骨を強制的に集めて神社に祀るということ自体が許されることなのでしょうか。人にはそれぞれ信教の自由があるのですからそれぞれの葬式の仕方も法事の仕方もあるわけです。それなのに無理矢理遺骨を取り上げて靖国に祀るということが許されることなのでしょうか。神道連盟の圧力とそれを利用して思想統一しようとした当時の軍部の考え方によってできたものだと思いますがどうでしょうか。そこに行って参拝することが本当に敬意と感謝をささげることになるのでしょうか

 「戦没者に対する敬意と感謝」と言うよりも「戦争に対する反省とアジアの各国に対する謝罪の気持ち」をこの機会を通して参拝をしないことによって現すことの方が大切なのではないでしょうか。
 私は小泉内閣を支持すると共に 一キリスト教徒として是非この参拝をやめてくれることを切にお願いしたいと思います。



柔道篠原選手への誤審に思う

 昨日、オリンピックの閉会式が行われこれで2週間に渡ったシドニーオリンピックも終わった。その中で柔道の男子100キロ級で篠原信一選手が内股すかしで「一本」を取ったにもかかわらず審判がこれを認めず、逆に相手のフランスドイエ選手の「有効」とした。この判定を巡って試合後日本側が抗議をしたが「主審と副審が離れた後には主審はその判定を変えることはできない」と定めた試合終了規定により、これが覆されることはなかった。数日後この判定に対する抗議のメールがこの主審のところに殺到したそうである。この判定に対し当事者である篠原選手は「感想も何もない。弱いから負けた。」と話した。同じ柔道の女子四八キロ級の田村亮子は「主審が下した判定なので・・・・。悔しいけれど・・・・。」とあるテレビのインタビューに答えていた。

 ある牧師が「三人の内2人の審判が相手の有効と言ったのだからしかたがないんだ。それに対してメールなどで抗議したことは「恥ずべき行為なのだ。」」と言った。
 確かに間違った判定で金メダルをもらい喜んでいるフランスの選手を見ると非常に悔しいものを感じるし審判を管理する上の人もいるだろうし、その人らは何をやっているのかなとも思うが、審判も間違うことがあり、それをそのまま受け入れることも一つの態度の取り方かな・・・・と感じた。裁判所でも他の人が下した審判に対して他の判事達はそれを尊重し口を出さないと聞いたことがある。そうしなければ裁判所の独立性とか、公平な判定とかが維持されないのだろうと思う。



妊娠中絶に思う
 今NHKで「私の青い空」という朝ドラをやっていますが、その中で主人公の女性が結婚式で相手の男に他の女性と一緒に逃げられてしまい式そのものが中止となってしまい、更にその相手の子供をみごもっておりその子供を産むか否かということでもめている場面があった。

 籍を入れずに産むと子供は父親の居ない婚外子というものになってしまうとかで非常にもめてそれで家を出るようになってしまいましたが、一旦妊娠して身ごもった命を産むとか産まないとか決める権利が果たして親にしても周りの人にしても有るものかと疑問に思いました。人間の命を抹殺しても良いか否か、物のように処分しても良いのかどうか、そんな権利が果たして人間に与えられているのでしょうか。ウーマンリブの考え方で中絶するのは女性の権利だみたいな考え方もあるようですが、それは間違っていると思います。又母体を保護するために子供よりも母体を優先して中絶を容認するという考え方もあるようですが、この制度がある限りこれを隠れ蓑にして中絶がどんどん行われてしまいます。だからこの考え方も残すべきでないと思います。子供を産んでも経済的に無理とか、女性が高校生だったりとか、いろいろなケースがあるとは思いますが、産まれてくる子供には責任がないわけですから何とかその様な子供を引き取って育ててくれるような施設も作っていかなければならないと思います。もっと命の尊さということを考えて行くべきだと思います。

君が代に抗議して退場した教職員に思う

 3月16日付けの新聞報道によると「帯広の緑園中学校で行われた卒業式で一般教職員のほぼ全員に当たる約30人が国歌斉唱に反発して一時抗議の意思表示として会場を退場した」とある。これを読むときに果たしてそこまでするべきなのかと思う。私も君が代には反対であるがそこまですると国歌そのものを否定することになるのではないか・・・・と思う。砂原町長も言っているが「必ずしも日の丸・君が代にはこだわらない。日の丸君が代が戦争中のイメージが悪いからというなら新しい国旗国歌を全国民に提案すればよい。国旗国歌は絶対に必要なもの」という事なのではないかと思う。せめて同席するくらいは必要でないかと思う。2000.3.20


日の丸君が代に思う。

 渡島管内砂原町の長谷保和町長は6日定例町議会で「国旗を揚げたくない先生は町立学校にいらない。お引き取りいただいた。」と述べ卒業式などでの日の丸君が代に対する考え方をもとに教職員人事に関わってきたことを明らかにしたとある。又「国家国旗が嫌いな人間は国外へ」とも語ったという。

 国旗国歌が嫌いという人はいないと思う。ただ国旗国歌として 日の丸、君が代がそれに ふさわしいかどうかというときにそれに疑問を持つ人は多いと思う。軍国化教育と侵略戦争の象徴であり、天皇制の象徴である日の丸君が代が、国旗国歌としてふさわしいとは言えないと思う。日本は民主主義国歌として新たな出発をしたのだから それにふさわしいみんなで歌える国歌を、みんなで仰ぐことの出来る国旗を早く制定すべきと思う。

 日の丸君が代にこだわり天皇制に戻ろうとする考え方や、太平洋戦争が侵略戦争だったことを否定する考え方が根強くあるが、天皇は神ではない。神社神道を基本とする偶像崇拝の考え方が昔からあるが、天皇は崇拝の対象ではない。一人の国民である。また太平洋戦争でアジアの同胞に多大な被害迷惑を与えたことはきちんと認識されるべきであると思う。拝む対象というならばそれはもっと他にあるのではないかと思う。



新潟県警本部長の辞職に思う

 新潟の女性監禁事件に絡む新潟県警の虚偽発表の問題で関東管区警察局長中田好昭と小林幸二本部長が辞任したが懲戒処分については小林本部長のみで中田局長には行われなかった。他の監察官は4時45分頃まで同署の観察をした後真っ直ぐ帰京したとある。しかし局長は宿泊を要請ししかも「雪の見えるところが良い」と注文を出している。監察される側の本部長としてみれば局長を接待するために宴会の席を設けたのであり事件の一報があって「帰った方がよいのではないか」と言われたとしても相手をほったらかして帰るわけにも行かず大変だったと思う。何となくだらけた雰囲気を感ずるがそれにもまして感ずるのは中田局長が一番悪いのでないかという事である。自分の立場を利用しそれが当然のごとく振る舞っている。接待を強要し白鳥の湖までご覧になって満足して帰っている。

 何しに来たのかと言いたいぐらいである。来ない方が良かったのではないか。こなけりゃ本部長が辞職することも無かったのではないかと思わせられる。
 人の上に立つ人としてはあってはならない事であるがしかしこういうことは往々にしてあると思う。上に行けば行くほどある様に思う。国会議員や国の官僚なんかその最たる者と思う。
 しかし警察の名誉のためにあえて申し上げたいと思いますが、私たちの村の駐在さんはこんな人達とは違います。非常に立派です。親切ですし人格者です。人の模範そのものです。又NHKのドラマで「南部大吉交番日記」というのがありましたが、ある意味で真に警察を支えているのはこういう人達一人一人の行いの積み重ねでないかと思います。そしてそこに一つの希望を感じます。同じように村を変えて行くのは村民一人一人が襟を正して生きて行くことだと思います。それが村を変えて行くと思います。そしてそれを拡大して考えて行く時に国の議員や役所の官僚の人達を変えて行くのも国民一人一人の意識の変化でないかと思います。



「家裁の人」より

 私は神経症を患ったりする内にテレビとか漫画ばかり読むようになりました。そして漫画の中にも良い漫画というものがあるのだなあとつくずく思うようになりました。
その中でもこの「家裁の人」はテレビでも放映され少し有名になりましたが、私はいつかこの「家裁の人」を何かの形でみんなに紹介したいと思っていました。少し字数が多くなりますので丁度教会の礼拝でメッセージを頼まれましたのでその時この原稿を書いてみました。・・・・・・・・

 家裁の人とは家庭裁判所の判事の調停あるいは審判をあつかった記録である。
聖書箇所はヘブル11章1節「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル13章1節「兄弟愛をいつも持っていなさい」です。

@ 夜万引きされたCDを持ち歩いていた少年が補導されました。取り調べに対しては黙秘をしました。鳥海という判事(裁判官)が担当いたしました。    佐藤俊也だね。    はい     警察では随分暴れたようだね。    覚えていません。    君は盗んだ品物を持ち歩いていたそうだが事情については一切話していないそうだね。    ・・・・・・。     それじゃ泥棒と疑われて当然じゃないか。・・・・・・。

 検察は勾留請求を出し鳥海判事はそれを了承しました。それに対し弁護士の側から準抗告といってそれの取り消しを求めました。その場合他の3人の判事が集まって協議し判断いたします。今回の場合も協議が行われました。「まず倉本君から意見を聞こうか。はい私は鳥海判事の出した拘留決定に問題はないと思います。少年は盗まれていた品物を持っていてなおかつ黙秘を続けているわけですが窃盗被害の様子から警察は複数の犯行と断定していますし他の捕まっていない仲間と共謀し罪証隠滅をはかる可能性は大きいと思われます。    すると準抗告棄却だね。    はい。    桑田判事はどうです?    私は少年を呼んで話をしてみたいと思います。    え?    少年の行動にいくつかの不審な点があります。検察官の申立書によると窃盗の行われた現場と少年の家は2キロ足らずの距離です。    それがどうかしたのかね。    それなのに少年が真新しいCDを持ち歩いていて逮捕されたのは事件の10日も後です。窃盗を行った10日も後にまだ封も切らない品物を家に持ち帰るというのは不自然です。    どういうことかね。    わかりません。解らないから少年にあってみたいのです。

(少年を呼んで問いただしてみます)  で問題のCDですがあれは君が盗んだ物ですか?・・・・・君緊張しないで良いから好きなことを話してごらん。・・・・    桑田さんあなたが呼んだんだ。好きなだけ話してみるが良い。    ・・・・・あのCDはいくらだったのかな。売った人の名前は言わなくても良いですよ。・・・・・    2万円・・・・

 (鳥海判事と倉田判事が料理屋で酒を飲みながら話をしています。鳥海判事の出した拘留決定がひっくり返ってしまった訳です。その辺の訳を聞いているところです。)確かにあの少年は窃盗事件を起こしたグループに出入りしていたのです。何度か万引きもやっていて・・・。ただグループの中では奴隷的存在であの窃盗事件には連れていってもらえなかったらしいんですね。・・・・・・・。事件の後少年は呼び出されて盗んだ品物を無理矢理買わされた・・・・・。体の良いかつ上げの被害者だったって訳です。    ・・・・しかし桑田判事は何でそこまで知っていたんだ?    知ってた訳じゃありませんよ。

(少年と話をした後の場面) 
調書を受け取ったときからずーと考えていたんです。今まで誰もしなかった質問は何だろうと・・・・・。    ・・・・・。つまり君は少年を信じておったという訳か。    はい。
 (再び料亭)隣の席ではきゃはははという笑い声が聞こえます。反対側の方では酔って話に花が咲いています。・・・・・・

Aヒトリシズカ
 少年院においてその単調な生活を慰めるために球技大会、花見、盆踊り大会などが行われます。ある少年院でのことなのですがここの院長の考えでたくさんそういう機会を持ちました。しかし警備が手薄になるため花見をする度に、逃げられるそうです。逃げる院生の後ろ姿を見ながら「夕飯までには戻って来いよ!!」と叫ぶのでした。そしてそのたびに転勤させられ、地方へ飛ばされるのでした。    (妻に)なあ来年当たりどこかへ飛ばされるかもしれん。3年は落ち着けると思っていたのだが・・・・。人吉か・・・・    (奥さんもできた人で) どこだってかまいませんよ。慣れていますから。人吉だったら、からしレンコンを死ぬほど食べられるわね。    佐世保か・・・・。    それなら有田に焼き物の窯を見に行けるわ・・・・・。

(子供が桑田判事に話す) 父さんはよく言うんだ。少年院に入ってくる人達は周りから信頼された経験が少ないからいっぱい信じてもらった思い出を持って出ていってもらいたいんだって・・・・。だから出来るだけ花見とか遠足とかをさせて上げるんだって・・・・・。 前の少年院でも逃げられたんだ。逃げられる度父さんは泣くんだ・・・・・。(お母さんは台所仕事をし、息子はテレビを見てる。テレビからはわはははというお笑いの声が聞こえる。父親が酒を飲みながら体をふるわせて涙を流している。)     進歩がないよ。どうしてあんな思いしてまで突っ張るのかな・・・・。  でもお父さんが誰も信用しなくなったら新しく入ってきた少年達はどんな気持ちで過ごさなければならないだろうね。   良いことしてるんならどうして怒られたりするの・・・・。

( 桑田判事が少年にひとりしずかの花を渡す。お父さんはゆっくり休んだ方がいい。それに明日仕事があるからといって帰る。)     何だどうして引っ張ってでも連れて来なかったんだ。じっくり酒でも飲みたかったのに。あいつめ僕が落ち込む度にこれを持ってくる。ひとりしずかなんて名前なのにどんどん株が増えてにぎやかになって行く。そういえばこれでいくつ目だろう。・・・・・・おおそうか。院長になってから逃走事故の度にもらっていたんだがそれが何とこの鉢で記念すべき10回目の事故だったんだ。うーん。我ながらこんなにとは思わなかった。    (奥さんが)人に歴史あり!(息子あきれかえる。・・・・)

Bひまわり
 ある少年が恐喝で在宅送致を受けたのですが完全な確信犯(やる気でやっている)で1年前から突然深夜徘徊が始まり15歳だというのに盛り場で大人相手にカツアゲをしていました。しかも過去2回の補導歴が有るんですが全く反省の色が無く審判の席で少年はこういったそうです。「俺の強いののどこが悪いんですか。だって強い者が生き残るのが世の中ですよ。」しかも「少年院を出たら又カツアゲをやる」とまで言った。15歳で柔道2段、中学時代は県大会で優勝している。

 桑田判事の指示は少年の生活史をその父親から徹底して聞き取れと言うものだった。
あの子は小さい頃ひどい泣き虫でそれを直さなければ将来苦労するだろうと5歳の時から私が柔道を教えました。(この父親は会社勤めの傍ら柔道を教えている。かつて国体で2位になったほどの腕前で現在7段だという。)     4年生の頃からですか、体がめきめき丈夫になってきて運動も勉強も苦にすることが無くなりました。武道をやらせているだけに乱暴な子になっては困ります。ですから小学校の頃から勉強をおろそかにしないようにつきっきりで指導しました。私は柔道を通じて何十人という子供を育ててきました。それが自分の子供だけどうしてこのようになってしまったのか・・・・・。

 (審判の席での桑田判事の言葉)今回はまずお父さんからお話を伺いましょう。あのような育て方をすれば誰だって非行に走ります。    では私が悪かったとおっしゃるのですか?ええ。   そんな・・・・どこが悪いと言うんですか?    あなたは息子さんが5歳の時から柔道で体を鍛えたとおっしゃっていますがそれが息子さんの望んだことだったのですか。     しかし私は柔道を通じてたくさんの子供を育ててきました。    他の少年達には帰る家が有るんです・・・・・。あなたは父親としてではなく他のもので息子さんを縛ってきたのではありませんか。    む・・・息子の非行は私のせいではない。    違います。あなたの子供が今ここに立っていることがあなたの教育の結果ですよ・・・・・。これをどう償うつもりですか?     そんな・・・・・。    彼をこれからどう育てるか答えて下さい。・・・・・。    そ、そう言われてみると・・・・どうすればよいのか皆目解りません・・・・・。
 と、その時その少年はすっと立ち上がりぺこっと頭を下げました。

(審判が終わって渋谷調査官に) ひまわりの花が東を向くことは話しましたよね。しかし家や樹木があって影が射すところでは光が多く注ぐ方向に花を向けてしまう。たまたま光を遮る者があるので本来とは違う向きになってしまう。あの少年はこのひまわりと同じだと思ったんです。小さい頃から父親の強い力に封じ込められていた自分を振りほどいてみたかっただけだった。・・・・・・    しかし父親を責められたのは?    少年の前でおろおろして欲しかったんです。彼が何に対して反発しているのかを知ってもらうために・・・・・。それを見て少年は変わりましたよね。    でもああやって父親を責めても少年の反応がなかったらどうされるつもりだったんです?    裁判官が馬鹿だった。それで良いじゃないですか。

Cホウセンカ
 少年久保厚志(17歳)は、2カ月前ひったくり事件の現行犯として逮捕され家庭裁判所に送致された。その事件は渋谷調査官が担当し桑田判事の審判により不処分となっている。不処分の決め手は渋谷調査官の詳細な聞き取りにより少年の更生意思が認められた為であった。今回の事件は久保厚志が出入りしていたスナックで3人の客に全治1カ月から3カ月の重傷を負わせたものである。
 少年久保厚志は父の久保正と2人暮らしである。母義子は13年前失踪。その2年後に協議離婚が成立している。長男である厚志は父の正志が引き取り正志の母清子と共に育てることになったが清子は10年前に死亡している。

 (鑑別所での取り調べ)小学生の時も中学生の時も家でまともな飯食ったことなんてねえよ。インスタントラーメンとか近くの食堂の定食とか・・・・・。家で作ったカレーライスが食べたくてさ。    そうか。だがそれでグレたなんて言うなよ。・・・・・。    みんなお袋が悪いんだ。・・・・・    

 前回の不処分の際少年の父親の働きかけでアルバイト先を見つけてもらったようですがそこで知り合った人が遊び人でして少年はその男から競馬を教わったようです。その関係で友人が広がり事件のあったスナックに入り浸るようになったそうです。    「父親は歯止めにならなかったんですね。」    だめです。父親も知り合った男と似たような者ですから。それにあの少年は捨てられた母親への憎悪が未だにくすぶっているんです。もろいもんですね・・・・・。
 「渋谷さんが持ってきてくれた真理テストですがおもしろいことが書いてありました。随分投げやりな答えが書いてあるのに1ヶ所だけ「私はホウセンカが好きです」と書いてあります。どうしてホウセンカなのでしょうかどこかにキーポイントが隠されているはずです。時間をかけてもかまいません。再犯の少年の方が傷が深いんですよ。」

 (審判の席で)    ホウセンカ?あれ冗談で書いたんだ。    そう。それでは君のお母さんの話をしてみようか。    なんでそうなるんだ。母親なんて関係ねえよ!    君はお母さんのことを覚えてますか。    知らねえよ。顔も見た事ねえし声も聞いた事ねえ。    お母さんに捨てられた、そう思っているんじゃないですか。    悪いかよ!    実はね、調査官の渋谷さんがお母さんに会ってきてくれました。なぜお母さんが出ていったのか知りたくありませんか?・・・・・君は1人前の人間なのだからつらいことも知っておくべきだと思います。君はお母さんが別の男の人を好きになって君を捨てた、そう思っているようですが事実は違いますよ。(実は、父親の作った賭博行為の借金のために妻を売った。借金した相手の男を自分の家に連れてきて、その男が妻に暴行するの許したのである。)君がお母さんを憎むのは間違っている。・・・・・解りますね。・・・・・君の家のホウセンカは君が3つの時お母さんと一緒に種を蒔いたものだそうです。君は本当は優しいお母さんを覚えているんじゃありませんか。・・・・・・。    覚えてねえ。覚えてねえよ。絶対覚えてねえ。    今日はお母さんにここに来ていただいているんです。もし君が会う気があるなら審判を1回だけ続行します。どうしますか。    うわあああああああああ。(泣き崩れる)

 (渋谷調査官も母親が離婚して出ていったそう言う経歴を持っている。)
判事さんは私の生い立ちを知ってらしてそれでああいう調査を赦されたのですか。    いえ。あの少年は会えなかった母親にこだわりすぎて間違いを犯したんです。あなたと重ね合わせた訳じゃありません。・・・・・ホウセンカの種は親の鞘から離れて初めて芽を出すじゃありませんか。・・・・・ただ・・・・あなたが担当したのは彼にとって幸せでしたね。

Dナンテン
 (桐島判事から美里という人への手紙)美里様、 お手紙有り難う。もう尚美ちゃんは1歳になったのね。出産のお祝いで会って以来だから随分大きくなったのでしょうね。私は裁判官として相変わらず修行中という感じです。今、日本の裁判官は判事補、簡栽判事を含めて2,828名そのうち女性は155名なのだそうです。この数字が多いのか少ないのかは解らないけれど裁判所にやってくる当事者にとっては私のような判事に会うのは驚きに値することらしいのです。・・・・・・

 (離婚調停の席で)「つきあっている女性と関係を解消する余地はないんですか。・・・・・・。せっかく子供さん達を独立するまで育ててそのあげく1人にされるなんて奥さんがかわいそうじゃありませんか。       驚いたねえ。わざわざ裁判所まで呼び出されて娘みたいな女の子に説教されるとは思わなかったよ。     あなたねえ。こちらは23歳で司法試験に合格された優秀な判事さんなのよ。     いくら秀才さんだからといって我々のことが解るとは限らんでしょう。 だいたいあんた結婚してる?    私が既婚か未婚かは関係ないことです!    おっ。    あなたのやったことが奥さんを傷つけたことは間違いないでしょう!!(男、横を向いてしまう。しばし中断する。)

 こういうときは失敗です。春河に来てから家事調停を担当することになったので度々こういうことが起こります。

 今日は屈辱的な1日でした。私の判断に決定的なノンを突きつけられてしまったの。・・・・・・。この手紙を書いている今も顔から火が出るほど恥ずかしいし震えるほど自分が腹立たしいわ。でもこの話は少しさかのぼったところから冷静に話さないといけません。

 1週間前ある業務上過失傷害事件の拘留状の請求を受け持ったときの事です。私は被疑者を面接して、裁判まで身柄を拘束する必要はないと、判断したんです。(釈放しても逃げることは無いと判断)私は刑事裁判の確実な進行と被疑者の容疑の重さとを正確に推し量ったつもりです。決して間違ってはいなかった・・・・・・。
 その事件は別の判事の法廷で裁かれることになりました。例え拘留令状を却下したとしても検察側から再申請が出れば別の二人の判事によって拘留が検討されます。

(別の判事から) 桐島さん。    はい。    2週間前に業務上過失傷害の拘留状を検討なさったのを覚えていますか。    ええ、請求を却下しました。    その被告人、今日の公判に現れませんでしたよ。・・・・・・・。ま、逃げたのか気後れしたのか解りませんがね。どっちにしろ一からやり直しですな。

 裁判官はこういう裏切りに会うときが一番答えます。例え自分の判断を信じていても結果は明らかな失敗です。こういう時裁判官同士が互いの判断を批評することは無いのが原則ですが、それだけに私の失敗に対する自己判断しか有りません。それに先輩の判事が見せるある種の優しさ、その裏返しの冷たさは、私が女であることに対する距離の遠さから来るもののように見えるのです。
 今夜は寝返りを千回くらい打ちそうです。私は若いから失敗したのか、それとも女だから?こういう問いはそれ自体が無意味なものなのに、倫理的思考とは別の場所からささやきかけて来るんです。

 (手紙の相手である美里という友達が赤ん坊を背負いながら遊びに来る。外で桑田判事を見つけて・・・・)
 女の裁判官はだめなんですか?     裁判官に男と女の適正があるでしょうか?    さあ・・・・私は裁判のことはよく解りませんから。    誰にでも解ります。ここは男と女が半分ずつ暮らしている国ですよ。・・・・・・。自分を女の裁判官だと思うから、男の人が自信たっぷりに見えるのでしょう。判事の仕事に必要なのは静かな心だけですよ。・・・・・・。彼女は良い裁判官になりますよ。

 (別の場面、美里と桐島判事がお菓子をつまみながら。)桐ちゃん。悩むこと無いよ。・・・・・・。あの人みたいな裁判官になればいいじゃない。私がもし離婚するとしたら、桑田判事に話し聞いて欲しいな。・・・・・・。私は仕事持ってるあなたがうらやましい。・・・・・・・。


五つの例を見てきましたが、 信仰とは信じることだと思います。神を信じることです。私たちはこの神を信じることにより人を信じることも随分と容易になってきたと思います。
 と同時に信じて上げることが随分と難しい場面に出くわすこともあります。この家庭裁判所において少年を信じてあげるということはどんなにか難しいことかと思います。しかしここに全ての原点があるように思います。相手を信頼して上げることをもっともっと求めて行けたらと思います。




日の丸、君が代について
 オリンピックの季節を迎えて、選手たちが表彰台にあがり日の丸と君が代が演奏されるの見る度になんだかもの悲しくなる。
日本は本当に戦争に対する反省があるのだろうかと思う。「何度も謝っているのだからもう謝る必要はない」とか、あるいは太平洋戦争における日本の立場を肯定するような発言を閣僚から出たり・・・・・。反省があるならばきちっと国旗も君が代も変えてやり直すべきだと思う。ただなし崩しに既成事実を積み上げて行こうとする姿は国民に対する欺きだと思う。苦しい練習を重ねてやっと勝利をつかんだ選手たちに対しても失礼だと思う。
 モーグルの里谷多英が表彰台の上で帽子をかぶったままだったことが問題になったが、もちろん国旗に対する敬意というのは必要だと思うがそれよりも会場やまたテレビで見てる人たちに対して失礼だったと言うことなのだと思う。
1998.2.12




県立所沢高校の入学を祝う会に思う
1998.5.17
 県立所沢高校では生徒の大半が卒業式をボイコットし生徒主催の卒業記念祭に出席したそうである。そしてそれを教職員もPTAも支持したそうである。入学式も同じで学校主催の入学式は必要がないとして生徒主催の入学を祝う会を主張し同じく教職員、PTAもそれに同調し入学生の四割が入学式を欠席したそうである。

新聞の論評を見ると、朝日、読売、毎日は、生徒よりでどっちかというと校長はもう少し生徒と話し合った方がよいのでないかという論調のようである。特に内田校長と埼玉県教育委員会が新入生と保護者に「正当な理由が無く入学式を欠席した場合は入学を認めない」とする文書を送付したことについて上からの一方的な押しつけであり、圧迫感を与えると反発する考えに同調している。産経と文芸春秋が、生徒達の主張に真っ向から対立し、道新は 卒業式と入学式の様子をさらりと伝えた程度で何が問題になっているのかどのように混乱しているのかという詳しいことには一切触れていなかったので、我々道民はさっぱりその事に気付きもしなかったという感じが強かったと思う。

 学校の自治と言うことについて生徒が主役だから生徒の考えで進めるべきだという考えやまた生徒、父母、教師の三者自治という考えもあるようだが、意見の交換と言うことで生徒の意見も聞くというのなら解るが、校長や教育委員会を無視したり、生徒にも大人と同等の権利を認めろと言うことには反対である。私も短大にいた時に、学生、教職員、理事者などを含めた三者自治とか四者自治とかいう要求が学生から出ていたが、やはりこれはおかしいと今も感じている。私学では基本的には学校を作った人にその権限がある。又作った人に推薦されたものが学校を運営して行く権利があると思う。そこに集まってきた教員や職員や生徒には基本的に運営の権利はないと思う。国立の場合や公立の場合は県や市や教育委員会にその権限があると思う。従業員や募集されて集まってきた学生には基本的に自治の権利はないと思う。学校との話し合いの場で意見を出して行くのはかまわないと思うがそれでもなお不満がある場合には県知事や市町村長の選挙で戦うかまたは行政との話し合いの場で出して行くべき事だと思う。学校の行事や活動についてはPTAや教職員にも協力を求めないとやっては行けないし又生徒会の活動も生徒の自主的な活動がなければやっては行けないと思う。しかし少なくても学生には自治の権利はないと思う。生徒会を自治して行くことは出来ても学校の運営を生徒が自治して行くことはできないと思う。そういう意味で校長や県教育委員会と学生が立場が同等であると言うことはいえないと思う。学生は学生であって経営者にはなれないと思う。それをやれば自主自立ではなくて乗っ取りになると思う。 

次に子供の権利条約 についてであるが正式には「児童の権利条約」という。一八歳未満の児童を飢えや病気から又親の暴力から守る事、保護する事を主目的とした条約である。しかし日本では子供の意見表明権や思想良心の自由をことさらに強調する恣意的な解釈がマスコミで一人歩きしている。生徒が学校行事に関して校長に意見をゆっても聞き入れてもらえない状況は子供の権利条約の意見表明権を侵害しているとして日本弁護士会に人権申し立ての救済をするそうである。また一五人もの弁護士によって弁護団が結成されたそうである。しかし意見が通らないからといって権利を侵害されたと言うことにはならないであろう。民主主義なのだからお互いに権利があるのだし、そもそも生徒に学校の行事に対抗してそれを無きものにしてしまおうということは許されていないと思う。

 所沢高校の生徒会室には生徒人権手帳というのがおいてあり、その本の中で生徒の人権として次のような事が書かれてあるそうである。
 遅刻しても授業を受ける権利
 飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利
 セックスをするかしないかを自分で決める権利
 子供を産むか生まないかを決めるのは女性の権利・・・・・
 飲酒喫煙で処分を受けるのは当然であると思う。セックスは結婚をしたものに許されているものだと考える。既に妊娠した子供を産む生まない等という権利は人間には与えられていないと思う。
 話し合い、話し合いというのだが結局自分たちの意見が通らない限りは納得しないのだから話し合いによる解決は無理だと思う。
 
 又入学を許可するのは 入学試験によってか入学式によってかと言うことも問題として上げられたがどちらでも良いような気がする。ここに焦点を置くよりは入学式を学校側の主催でやることに意義があるのか、またはそれを生徒主催でやってもいいのかだと思う。その点については内田校長も言っているようにまず学校主催の入学式をやりその後に生徒主催の入学を祝う会をやればよいと思う。入学を祝う会が入学式に取って代わることはできないと考える。
 
 学校に限らず社会においても町内の運営においても又会社の運営においても家庭や学校においても秩序というものが必要だと思う。下のものが上の者に従うことをやめたらどうなるか。ただただ混乱するばかりであると思う。人格的には皆平等であるがそれぞれに置かれた立場やまた分によって取るべき行動が自ずと決まってくると思う。母親が父親に従うことを拒否したらどうなるか、子供が親に従うことを拒否したらどうなるか、また部下が上司に従うことを拒否したらどうなるか、生徒が教師に従うことを拒否したらどうなるか結果は自ずと明らかである。所沢校の生徒会も教職員もPTAももう少し自らの行動を顧み考えていただきたいと思う。
 
 私はクリスチャンである理由から日の丸君が代については反対である。しかしだからといって学校が主催する入学式そのものを壊してしまおうという気持ちにはなれません。互いの考え方は違ってもそれは尊重して行かなければならないと考えます。
 もう入学式の季節もすぎて一カ月程経つが文芸春秋を見て初めてこのような問題があったことに気ずきました。それで書いてみました。



私の奇稿文  筆者プロフィール  入信に到るまで  実生活の中で 富良野のぞみキリスト教会月報より   教会紹介   田村牧師のお話   98年教会活動より 占冠村家庭集会の案内  道内諸教会の紹介