2001年度 修士論文 中間発表

学級経営における教師の指導性に関する研究

 

                         教育学専修 M2 土作  彰
1・はじめに

2000年3月、国立教育研究所の学級経営委員会は「学級経営の充実に関する研究調査(文部省委託)」の最終報告書を発表した。

それによると、調査対象となった150学級のうち、約7割に当たる104学級が「教師の学級経営が柔軟性を欠いている」ために「学級がうまく機能しない状態」に陥ったと報告されている。この結果を一部マスコミが「『学級崩壊』、7割が教師の指導力不足」と報じたことは記憶に新しい。

この結果を初めて知ったとき、2つの素朴な疑問が生じた。一つ目は「教育専門家であるはずの教師がなぜ『指導力不足』という状況になるのか」ということ、いま一つは「指導(性)とはそもそも何なのか」ということである。

現時点では、以上2つの疑問を解決すべく、教師の指導性について考えてみたい。  

 

  2・「指導性」をどうとらえるか

(1)「指導性」とは何か

 @「授業改革大辞典」(明治図書 1975年)

 「授業改革大辞典」(明治図書 1975年)では、次のように述べられている。

「指導性には二つの側面が考えられる。その一つは、ある人間が他の者に対して優位に立って、これを導き、またこれを励ますことのできる能力であり、その第二は、集団の目的とその正当な利益を把握して、その代表としてこれを統率し、その目的を実現させる能力である

 ここでは指導性の二つの側面が述べられているが、これら二つの側面は完全に分離して考えられるものなのだろうか。

 前掲書には、その後、次のように述べられている。

 「それらがたがいに関連し合って統一されるのは、指導するものと指導されるものとの間における人間関係が民主的に構成されている場合であるということを注意しなければならない。」「指導性が民主的な関係において成立しないかぎり、指導者としての教師は真に学級を統率することができないし、また生徒を導き励ますこともできない」

 ここでは「民主的」という言葉が繰り返し使われている。では、「民主的な状況」をつくりだすには、教師は何をすべきなのか。前掲書では次のように書かれている。

 「授業における教師の指導性はなによりも、授業内容の妥当性を根拠にしている。しかし、それは、教材の抽象的な論理的妥当性を指すのではなく、その論理的妥当性が現実の状況の中で教師によって正当に具体されたときにはじめて教師の指導性となるのである。それが現実の中で正しく具現化されることは、すなわち真に民主的な状況と関係を実現することにほかならない」

 ここでいう「民主的な状況」とは、「子どもたちの一人ひとりの意見が尊重され、討論などを通じて、より高いレベルの意見に到達できうる状況」のこととしよう。

 教師の指導性により「民主的な状況」をつくりだすには、「@授業内容が妥当」なものであり、それが「A教師によって具体」化されなければならないわけである。

 このことを現場での実践にあてはめてみるとどうなるか。

それは、「@知的で楽しい授業のコンテンツ」を持ち、それを「A授業でうまく子どもたちに分からせる」ことができなければならないということである。現場の教師流にいえば「ネタと腕」を持てということである。

 

A「授業改革事典 第2巻 授業の設計」(第一法規 1982

「授業改革事典 第2巻 授業の設計」では、「教師の指導性」は「ヘッドシップ」と「リーダーシップ」2つに分けて書かれている。

特に「学級における教師の指導性は、ヘッドシップに立脚している。計画的学習は、この意味において、きわめて形式的で統制色の強いものといえよう」という記述からもわかるように、ここでは、教師の「強制的・制度的側面」を前提とした指導性=ヘッドシップの重要性が強調されている。

しかし、それは「所属集団」としてのみ学級集団をとらえたときのことである。

前掲書では続けて次のように書かれている。

「しかしながら、学級集団は、自発的な学習集団であることも同時に要請されている。それゆえ、学級集団は、また、準拠集団でなければならない。そして、まさにこの点において、教師の指導性が、先にみた単なるヘッドシップにとどまっておれない事情がある。教師は、最初は制度的なものとしての所属集団から、児童生徒が心理的にそこに所属しうる準拠集団へと、学級集団を改変してゆかねばならない。したがって、教師の指導にとっての課題は、ヘッドシップとしての教師の独自性を保持しながら、一方では、授業の遂行場面においてリーダーシップを発揮することにあるといえよう。」

このことを現場実践にあてはめるとどうなるか。

4月の学級開きの頃は、所属集団としてのルールの確立をはからねばならない重要な時期である。したがって、この時期には教師が前に立って、毅然とルールを徹底させる「ヘッドシップ」を発揮すべきである。このことは、学級の秩序を保つための基礎工事にあたる。このヘッドシップは年間を通じて保持されるべきものである。このヘッドシップとは教師の権威確立のためのあらゆる行為のことに他ならないと考える。乱暴にいうと、「教師の子どもに対する厳しさ」であり、「教師の威厳」である。

その一方で、教師は年間を通じて子どもたちに「教室での居場所」をつくらねばならない。それは授業、授業外を通じて実現されなければならないが、このときには教師の「リーダーシップ」が発揮されるべきである。この「リーダーシップ」とは、いわば、「民主的な状況」をつくり出すために必要な「授業の腕」のことに他ならないと考える。

つまり現場の教師流に言えば「子どもに対する厳しさと授業の腕を持て」ということである。

 

 

(2)齋藤喜博全集にみる「指導性」

 授業の「神様」といわれた人物に齋藤喜博氏がいる。

齋藤喜博氏は、どのように「指導性」をとらえているのだろうか。

たとえば次のような記述がある。

「根本繁さんは、その年、他校から転任してきた若い教師だった。根本さんは五年生の担任になったが、学級がどうにもうまくいかなかった。子どもたちは先生に不満で、あばれたり、反抗したり、投げやりになったりしてしまった。(齋藤喜博全集 第4巻 7ぺ)」

 子どもたちの状態はいまでいう「学級崩壊」の様相を呈している。これは昭和40年代初頭の実践記であるから、いまから30年以上も前にすでにこのような状態が存在していたことになる。

 この状況はいかにして打開できるのか。

 齋藤氏は言う。

「ある日、根本さんは学校を休んだ。その日、泉幸子さんがその級へでて1時間授業をした。泉さんは、志賀さんと同じに、才能と技術を持ったすぐれた教師だった。とくに、泉さんは、子どもへの問題の投げつけ方や、子どもの出す、それぞれの意見の取り上げ方、結びつけ方のうまい教師だった。泉さんが授業をすると、子どもたちは、いままでと見ちがえるように生き生きと目を輝かせて学習した。泉さんの明快な授業で、教室の空気が明るくなり、緊張してきた。満足しきった子どもたちは、家へ帰ってからそれぞれの親たちに言った。「きょうはせいせいした」「きょうの勉強は気持ちがよかった」「泉先生は勉強の教え方がとてもうまいのでよくわかり、いい考えが出る」子どもたちは、そんなことをいいながら、その日は生き生きとして家で本をひらいたというのだった。(齋藤喜博全集 第4巻 7ペ)」

 ここで齋藤氏は「泉さん」を「子どもへの問題の投げつけ方や、子どもの出す、それぞれの意見の取り上げ方、結び付け方がうまい教師」だったと評し、そのことが「教室の空気が明るくなり、緊張してきた」ことの要因だと考えている。

 ここで重要なのは「緊張してきた」という記述である。「教室の空気」が単に「明るい」だけでなく、「緊張して」くる授業というのは、そうやすやすとできるものではない。この齋藤氏の記述は、(1)で述べた「リーダーシップ」の重要性と重なると考えられる。

 齋藤氏の全集にはこのような具体的な教師の「指導性」にかかわる記述が多くみられる。整理したい。

 

 

(3)教師の「指導力」をどうとらえるか

 以上(1)〜(2)の実践家の実践・論述から読み取れる教師の「指導力」とは次の3点である。

 

@    授業をする力   授業のコンテンツを知っている(ネタ)

授業をリズム・テンポよく行うことができる(腕)

子どもの意見を止揚し授業をすすめることができる()

A    子どもを統率する力(ネタ・腕)

B    子どもを「追いつめる」力(厳しさ)

     

3・学級経営を充実させるために必要な「指導力」の検証と考察

 以上の研究過程から抽出された「指導の原理・原則」の有効性を検証し、考察を加える。

 既に、1学期が始まって3ヶ月が過ぎようとしているが、「手応え」は十分である。

 このことにより、「学級経営を充実」させるために有効な原理原則を明確にしたいと考える。

 

4・本論文の構成

  序章

◆本研究の目的

    本研究の方法   

@    文献研究

A「『崩壊』学級再生教師」深澤久氏(群馬県高崎市立佐野小学校)への取材

    本論文の構成

第1章 「指導性」をどうとらえるか

第2章 齋藤喜博全集にみる「指導力」

第3章 実践から抽出された「指導力」の要素

第4章 学級経営を充実させるために必要な指導の原理原則

終章


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5・参考文献

 学級経営研究会「学級経営の充実に関する調査研究」文部省 2000年

 向山洋一編『学校の失敗』扶桑社 1999年

 向山洋一編『学級崩壊からの生還』扶桑社 2000年

 大石勝男編「学級崩壊の予防・対応」教育開発研究所 2000年

 大堀真「普通でない5年3組からの挑戦」明治図書 1998年

 松藤司『子どもの荒れと向き合う』明治図書 1998年

 根本直樹・山口正仁「なぜウチの学級だけ事件が起こる!」明治図書 1998年

 秋葉英則・満田育子『学級崩壊現場を歩く その解決方法は』フォーラムA 1998年

 辰野弘宣『こうして学級崩壊を救え』東洋館出版社 2000年

 河村茂雄『崩壊しない学級経営をめざして』学事出版 1998年

河村茂雄『学級崩壊に学ぶ』誠心出版 1999年

朝日新聞社『学級崩壊』朝日新聞社 1998年

滝 千章『学級崩壊なんてこわくない』東洋館出版社 1999年

三上周治『学級崩壊「荒れた学級」をどう建て直すか』明治図書 1999年

「黄金の3日間が勝負 学級崩壊の予防法」『教室ツーウエイ』bQ09 明治図書 2000年

 「学級崩壊からの生還」『教室ツーウエイ』bP96 明治図書 1999年

 「『小一の学級崩壊』その背景を読み解く」『現代教育科学』bT19 明治図書 1999年

 「『授業崩壊』の真実を検証する」『現代教育科学』bT08 明治図書 1999年

 「21世紀に『学力崩壊』が起きる?」『現代教育科学』bT18 明治図書 1999年  他

 「向山型算数授業で学級崩壊から生還した」『向山型算数教え方教室』明治図書 2000年

  齋藤喜博「齋藤喜博全集」1巻〜15巻 国土社 1970年

  向山洋一「向山洋一全集」1巻〜23巻 明治図書 1999年

  深澤久編「命の授業」 明治図書 1990年

 深澤久編「マルドウ通信」bP〜10 道徳教育改革集団私家版